宗教に理性を埋没させ、神のために行動していると信じ、飛行機ごと爆弾となって、与えられた目的地に突っ込む。
死んで「聖戦」の戦士としてまつられ、美化され讃えられる。
しかし、そもそもこれは、
どこか遠い国にいるテロリストが生んだ手法ではない。
76年前の今日も、
この国の大人は若者を死の淵へと追い詰めた。
その記号のために、どんな現実性のない無意味な「特攻」計画も次々と強行された。
右舷甲板の激突による火災は速やかに消火され
艦長は若い特攻隊員の遺体を集め名誉の水葬をおこなった。
太平洋上で、戦艦ミズーリ(BB-63)を攻撃する日本軍特攻機。(1945年4月11日撮影)Jap suicide plane attacking the USS MISSOURI (BB-63) somewhere in the Pacific.
米軍が日本を占領したとき、日本は子どもすら動員し「一億総特攻」を実践しつつあった。この国が沖縄で不法にやってきたことを本土で可能にさせたのだ。
靖国の「英霊」崇拝を否定しない限り、この国で、若者の命は何度も何度も愛国の記号として収奪されるだろう。
なぜこれらの犠牲者の強いられた言葉と強いられた死を「知り」、「日本に誇りが持てるのか」。特攻にされた兵士が書かされた遺書を神社のアセットとして展示する靖国神社の「宝物館」。この若者たちの言葉は、奴隷制時代や植民地の記録文章のように厳しく検閲されコード化された言語として読まなければならないが、神社の展示は、これを宝物として展示し、戦後の書き物と同じよう、もしくは「英霊」の言葉として読むよう参拝者に強いている。
今、必要なのは「英霊」崇拝でも、靖国「参拝」でも、軍功として称える「顕彰碑」でもない。なぜこの国は、今も血迷ったカルトに熱狂するのか。
必要なのは、こころからの「慰霊」であり、「謝罪」であり、歴史と真摯に向き合う「姿勢」だ。
歴史を虚飾で埋めてはならない。
1945年4月11日『激しさを増す神風特攻』
neverforget1945.hatenablog.com
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