特攻は

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【シリーズ沖縄戦】76年前の今日
1945年4月11日『激しさを増す神風特攻』
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宗教に理性を埋没させ、神のために行動していると信じ、飛行機ごと爆弾となって、与えられた目的地に突っ込む。
 
死んで「聖戦」の戦士としてまつられ、美化され讃えられる。
 
そんな原理主義が生んだ9.11同時多発テロは世界を震撼させたが、
 
しかし、そもそもこれは、
どこか遠い国にいるテロリストが生んだ手法ではない。
 
76年前の今日も、
この国の大人は若者を死の淵へと追い詰めた。
 
特攻は、日本の、死と直面することなく死を崇拝する「神道原理主義」と融合し、狂信の極みで稲田朋美が絶叫した、「国民ひとりひとりが血を流す覚悟を持てー」と、国民の流血を渇欲する暗い国家主義の理想を体現する矢印記号にされたのだった。
 
忠魂碑は明治維新以降、国のために戦死した兵士を弾丸にかたどって奉ったものが多い。

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読谷の陸軍沖縄北飛行場跡の忠魂碑
 
その記号のために、どんな現実性のない無意味な「特攻」計画も次々と強行された。
 
76年前の今日
建武隊の零戦が米戦艦ミズーリに突入した。
 
右舷甲板の激突による火災は速やかに消火され
艦長は若い特攻隊員の遺体を集め名誉の水葬をおこなった。
 

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太平洋上で、戦艦ミズーリ(BB-63)を攻撃する日本軍特攻機(1945年4月11日撮影)

Jap suicide plane attacking the USS MISSOURI (BB-63) somewhere in the Pacific.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

しかしこの国は神風も桜花も斬込み隊も、次から次へと「特攻」を送りだす。
 
 
米軍が日本を占領したとき、日本は子どもすら動員し「一億総特攻」を実践しつつあった。この国が沖縄で不法にやってきたことを本土で可能にさせたのだ。
 
その反理性の背景には、五穀豊穣を祝うハレの看板とは裏腹に、問答無用の天皇制と護国の血の犠牲を称える神道原理主義があったということを忘れてはいけない。
 
今も、日本会議は神社の内側で活動し、極右の講演会だけではなく、自民党の選挙運動、ボギーでどこんや百田尚樹の講演会、憲法改正普天間飛行場辺野古移設を推進する闇の署名活動まで行う。行きつく拠点が神社であれば、誰も表立って批判しないのだろうか、この国はいまだに。
 
先日、神社本庁腐敗スキャンダルが裁判になると、「神社本庁は、いわば『日本の国体』の根幹を護っている最後の砦(中略)決して裁判所が日本の国体破壊につながることに手を貸す事態があってはならない」などと、神社が戦前まがいの狂った妄想をむき出しにするのである。
 
靖国の「英霊」崇拝を否定しない限り、この国で、若者の命は何度も何度も愛国の記号として収奪されるだろう。
 
 
なぜこれらの犠牲者の強いられた言葉と強いられた死を「知り」、「日本に誇りが持てるのか」。特攻にされた兵士が書かされた遺書を神社のアセットとして展示する靖国神社「宝物館」。この若者たちの言葉は、奴隷制時代や植民地の記録文章のように厳しく検閲されコード化された言語として読まなければならないが、神社の展示は、これを宝物として展示し、戦後の書き物と同じよう、もしくは「英霊」の言葉として読むよう参拝者に強いている。

ironna.jp

今、必要なのは「英霊」崇拝でも、靖国「参拝」でも、軍功として称える「顕彰碑」でもない。なぜこの国は、今も血迷ったカルトに熱狂するのか。

 
必要なのは、こころからの「慰霊」であり、「謝罪」であり、歴史と真摯に向き合う「姿勢」だ。
 
歴史を虚飾で埋めてはならない。