慶良間ブルー ~ Unspeakable Things Spoken

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琉球朝日放送 » 戦後70年 遠ざかる記憶 近づく足音 ~座間味島・集団自決の記憶~

 

76年前の今日、慶良間諸島を制圧した米軍は、次の上陸にむけて進む。 米軍がどのように日本軍の軍事施設を解析していたか、今日の項目に、上陸前の米軍の解析図(右)と実際の球部隊配置図(右)を併置し掲載した。 米軍は、詳細な飛行場の位置だけではない。無線通信所、高射砲、海上特攻拠点など、…

 

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…驚くほど正確に把握している。 興味深い点は、米軍は上陸前から現在の嘉手納弾薬庫のあたりに日本軍の地下弾薬庫(緑)があると考えており、実際に占領後は嘉手納弾薬庫となり、現在に至る。 このようにいったん基地化された土地は延々と軍に再利用され続け、搾取の円環から脱出することは難しい。

 

突如として竹竿がめぐらされ、日本軍に土地を接収された読谷村は、ゆえに沖縄島上陸の第一の標的となった。 戦後は95%が米軍基地として占有された読谷村は、そこからしかし膨大な労苦と忍耐とでひとつひとつ基地を返還させていく。 現在も35.6%もの面積を米軍基地に占有されている読谷村ではあるが

 

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沖縄総合事務局から

 

1945年の沖縄戦で「日本軍」基地の多くが「米軍」基地となり、ついで 1972年の「沖縄返還協定」で「返還」されたことになっている多くの米軍基地が、実はそのまま自衛隊へと「移管」されただけの、まやかしの歴史をふりかえれば、 いかに読谷村の基地返還の声が、「移管」ではなく、「返還」への道を

 

  日本軍の飛行場 米軍の飛行場 現在
1 伊江島飛行場 伊江島飛行場 伊江島補助飛行場
2   本部飛行場 1971年返還
3   金武飛行場 キャンプ・ハンセン
4   ボーロー飛行場 瀬名波通信施設
5 陸軍北飛行場 読谷飛行場 読谷補助飛行場
6 陸軍中飛行場 嘉手納飛行場 嘉手納飛行場
7   泡瀬飛行場 泡瀬通信施設
8   普天間飛行場 普天間飛行場
9 陸軍南飛行場 牧港飛行場 牧港補給地区
10 陸軍東飛行場 与那原飛行場 1959年返還
11 海軍小禄飛行場 那覇空港 (那覇海軍航空施設) 1975年返還

 

 

  名称 自衛隊に移行された区域 備考
15 恩納サイト 恩納ポイント陸軍補助施
23 知花サイト 知花陸軍補助施設 陸自白川分屯地
48 ホワイト・ビーチ地区 西原第2陸軍補助施設 陸自勝連分屯基地
67 那覇サイト 那覇陸軍補助施設 空自那覇基地
68 知念第1サイト 知念第1陸軍補助施設 陸自知念分屯地
69 知念第2サイト 知念第2陸軍補助施設 空自知念分屯基地
72 与座岳航空通信施設 与座岳航空通信施設
73 与座岳サイト 与座岳第1陸軍補助施設 陸自南与座分屯地
74 与座岳陸軍補助施設 与座岳第2陸軍補助施設 (サイトA)
陸自那覇駐屯地八重瀬分屯地
79 久米島航空通信施設 久米島航空通信施設
86 宮古島ヴォルタック施設 宮古島ヴォルタック施設 運輸省 航空通信施設
87
宮古島航空通信施設
空自那覇基地宮古島分屯地
宮古島NDB施設 運輸省

 

他にもまだある。詳しくは 沖縄の米軍基地 - Wikipedia

 

 … 奇跡的なほどの労苦で切り開いていったのかがよくわかる。 逆に言うと、いったん基地化された土地は、世代を超え時代を超えとことん軍事に再利用されていくということだ。 76年前の今日、 慶良間諸島を制圧した米軍は、着実に嘉手納と読谷の日本軍基地に向かって進む。

 

逆に言うと、いったん基地化された土地は、世代を超え時代を超えとことん軍事に再利用されていくということだ。

76年前の今日、

慶良間諸島を制圧した米軍は、着実に嘉手納と読谷の日本軍基地に向かって進む。

 

 

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【シリーズ沖縄戦】74年前の今日
1945年 3月29日『慶良間列島、死の島と化し米軍の海軍基地となる』
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1945年 3月25日『慶良間列島への上陸作戦前夜』

1945年 3月26日『米軍、慶良間列島に上陸』

1945年 3月27日『米軍、慶良間列島を次々と制圧』

1945年 3月28日『慶良間の住民が集団自決』

 

慶良間列島の「集団自決」(強制集団死) を生き抜いた人々を苦しめたのは、自分の心と家族の絆すら切り裂く、あの記憶だけではない。

 

事の発端は、2005年の春、「新しい歴史教科書をつくる会」が歴史修正主義の運動を起こし、この問題は「皇軍および無念の菟罪」だといいだした。

 

その夏、座間味島の元日本軍部隊長と、渡嘉敷島の元部隊長の弟が、軍命令などなかった、と大江健三郎氏と岩波書店を相手取って訴訟。

 

その訴訟を足がかりとして、国は、2008年度から使用される教科書検定で「日本軍による強制」に関する叙述がすべて削除されるなど、一連の教科書問題へと持ち込んだ。

 

しかし、もし軍の関与がなければ、だれから人々は手榴弾をもたされ、豪雨のなかを移動し、あちらこちらに集められていったのか。捕虜になった者はなぜスパイと見なされ殺されていったのか。

 

むしろこの残酷な歴史修正主義のあと、生存者たちは身を裂くようにして心の傷に立ち向かい、多くの歴史証言を残してくれた。

 

今日の沖縄タイムス

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だからこそ、

 

なぜ「集団自決」(強制集団死) はおこったのか。

 

後の世を生きる我々は

何度でも何度でも何度でも、反芻すべきなのだ。

 

歴史学者林博史氏の「沖縄戦における「集団自決」と教科書検定」から、引用したい。

 

阿嘉島を例外として、日本軍が全体として一致して「自決に強制・誘導していった。慶良間列島に駐留していた日本軍は、米艦船に背後から突入する特攻艇の部隊であり、自らも死ぬことを前提としていたこと、米軍には秘匿していた特攻隊であったため、軍機保持のために防諜がより一層強調され、スパイへの警戒心、島民相互の監視システム、島民の情報統制がほかの島々・地域よりはるかに厳しかったと言ってよい状況だった。

 

いくつかの要因を見てきたが、住民たちは米軍に保護されて親切な扱いを受けると、自分たちが騙されていたことがわかり、もはや自決しようとはしなかった。あるいは玉砕したはずの日本軍が生き残っていることがわかると、自決をやめ生き延びようとし始めるのである。米軍は住民を保護するとわかった住民たちは,山に隠れている人々に、大丈夫だから降りてくるように働きかけたが、日本軍からスパイ視され殺された人も少なくない。「集団自決」で傷つきながらも生き残った人々を米軍は助け出し、野戦病院は急いで上陸して住民の治療にあたった。日本軍の狙撃兵による銃弾が飛ぶ海岸で、米軍の医療スタッフが傷ついた住民の治療にあたるという倒錯した状況が生じたのである。

 

日本軍の存在と「集団自決」とは不可分である。沖縄本島においても、地域住民たちが集団で米軍に保護され、地域の犠牲者が少なかったところはすべて日本軍がいなかった所である。日本軍がいれば、投降することができず、うまく逃げられればよいが、さもなければ米軍に攻撃されて殺されるか、餓死・衰弱によるマラリア死に追いやられるか、形は違っていても死に追いやられた。「集団自決」にとどまらず、沖縄の住民たちの犠牲の多くは、日本軍によって引き起こされた、あるいは強いられたものだった。

沖縄戦における「集団自決」と教科書検定林博史

 

 

アメリカ軍の捕虜になった住民を殺したのは、日本軍だったんです。 

battle-of-okinawa.hatenablog.com

  

73年前、慶良間の島々に上陸した米軍は、

第32軍司令部がある沖縄島への上陸準備を着々と進めていた。

 

米軍に制圧された慶良間諸島は、最初の沖縄における米軍基地として使用され始めた。

 

あれから、73年という長い年月が経過した今もなお、

沖縄には、米軍基地が存在し続ける。

 

基地や施設だけではない。

沖縄には、日本政府が米軍に提供する訓練区域や演習場が数多く存在するのだ。

 

そのため、米国および日本本土に駐留する米軍部隊も来沖し、沖縄で演習を繰り返す。

 

そのたびに、「戦争で負けたから仕方がない」と冷笑的に物知り顔をする者たちも多い。

 

が、実のところ、沖縄が基地として今も使われているのは「戦争で負けたから」ではない。

 

そこのところが理解できていなければ、

沖縄の基地問題はわからない。

 

 

ご覧ください ⇩

1945年 3月29日『慶良間列島、死の島と化し米軍の海軍基地となる』

neverforget1945.hatenablog.com

 

 

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