1945年6月25日 暗いエゴイズム この日、米軍は自決した第32軍のトップ2人の亡骸を確認。しかし沖縄戦は終わらなかった。

第32軍のトップ2人が摩文仁の丘で自決したとされる日から、今日で2日が過ぎた。 だが、沖縄にいた日本軍のトップ2人が自決したからといって、他の日本兵たちにとっては関係ないことだった。 彼らに伝えられた命令は、最後まで戦えというものだ。 沖縄本島…

6月24日、軍は住民を守らない - 沖縄における日本軍の目的は、外地から本土決戦までの時間稼ぐこと。それは今も同じことだ。

轟壕(とどろきごう) | たびらい 日本兵による横暴のなか600人もの住民・県庁職員が生き残った、別名「沖縄県庁最後の地」 「貴様たちは、それでも日本人か」 「泥を食ってでも生きろ」 これは73年前の6月中旬、糸満市にある「轟の壕」と呼ばれる大きな自然…

「慰霊の日」は「沖縄戦終結の日」なのか

慰霊の日の翁長知事 いまさらですが、 沖縄戦の正式な終結の日とは、日本軍と連合国側の両代表が沖縄で降伏文書にサインした9月7日。 neverforget1945.hatenablog.com であるなら、沖縄戦の終結を記す「慰霊の日」とはいつであるべきなのか、という、そも…

6月23日、慰霊の日は誰の為に

は 慰霊の日。沖縄戦のすべての犠牲者と、そして昨年の翁長知事のことを考えている。 歴代の知事が慰霊の日に読み上げる平和宣言には「沖縄のこころ」が込められている。昨年の慰霊の日。灼熱の太陽が照りつける糸満市摩文仁の平和の礎に翁長知事の声が静か…

星条旗掲揚式

《AIによるカラー処理》1945年6月22日星条旗掲揚式で、琉球列島沖縄は米軍管理下にあることが公式発表された。沖縄。 A flag raising ceremony on 22 June 1945 announced officially that Okinawa, Ryukyu Retto, was under U.S. control. 写真が語る沖縄 …

沖縄作戦の「成功」

《AIによるカラー処理》発煙手榴弾により壕から燻し出され、海兵隊に投降する日本兵。(1945年6月21日撮影) Jap soldier flushed from a cave by a smoke grenade surrenders to Marines. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ …

軍服の少年と、着物姿の参謀たち

《AIによるカラー処理》バズーカ砲を構えるフィッシャー一等兵と弾を装填するミラー一等兵。彼らは日本軍壕に向かって発砲しようとしている(1945年6月19日撮影) Pfc. Alden A. Fisher, Morganton, Ga., fires a bazooka, Pfc. William Miller, Oceanside, …

間違った命令でも、命令なら従うのは当然だ、と考える、そういう大人が多く存在するかぎり、子どもたちが、その犠牲となる。

5月30日午後0時25分、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前では、本日2回目の資材搬入に備えて新基地建設に反対する市民ら約60人が座り込んで「美ら海を守れ」「県の行政指導に従え」と声を上げています。#辺野古 #沖縄 沖縄タイムス辺野古・高江取…

『父の日』の沖縄戦

「父の日」に想う沖縄戦 サイパン - 戦場の父と子 「父の日」に想う沖縄戦 6月の第3日曜日は「父の日」です。 父親と一度の会話もないままに歩みし吾は八十路坂 これは、父の日の今日、琉球新報の「平和のうた」で掲載された短歌だ。 選者の解説は、こう綴っ…

正義とは

《AIによるカラー処理》洞穴から日本兵を引きずり出した海兵隊第1師団偵察部隊第5大隊隊員(1945年6月16日) Marines of 5th Battalion, Recon Company, 1st Division, flush out Jap soldier from cave. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □…

1945年6月15日、普天間基地の滑走路建設が始まった。

沖縄侵攻の様子。海兵隊員や陸軍兵が日本兵から奪った日章旗。 Scenes during the invasion of Okinawa. Jap battle flags, carried by each Nip fighter until deprived of it by a marine or soldier. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □…

土地が基地化されるということ

糸数アブチラガマ|南城市 南城市、アブチラガマのサイトが歴史資料も含めて充実しています。実際に訪れて中に入壕することもできます。案内はこのサイトから。⇧ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年6月14日 『アブチラガ…

我々は、今日も、明日も、明後日も、沖縄戦と向き合う必要がある

【原文】 Two young Jap soldiers being compared to a full grown Korean which is three times the size of them. The first Jap is 17 years old, the 2nd is 19 years old, and the giant Korean is 28 years old. Okinawa. 【和訳】 朝鮮の成人男…

負傷兵 - 「自決」を強要されたものたち

《AI-colorized》【原文】 Stinson L-5 coming in for landing on narrow road used as runway for planes evacuating wounded Marine from front lines to rear hospital area.【和訳】 スティンソンL-5機が道路に着地。この飛行機は負傷した海兵隊員を前線…

なぜ彼らは「敵国」の脅威を煽ったのか

日本兵撃退およびノミ駆除のため、小禄半島近隣の家屋が焼き払われる。(1945年 6月11日撮影) Houses are burned in vicinity of Oroku Peninsula to dislodge both Nips and fleas. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 民家に潜伏しているかもしれない…

現代日本陸軍の理想精神は、自決の一語あるのみ

救護所で治療と食糧の配給を受ける民間人。ほとんど全員が負傷している。これは、日本軍狙撃兵が彼等に向けて発砲したためで、寄り集まって(行動を共にして)いる(1945年6月10日撮影) Civilians getting aid and food at aid station. Almost each one wa…

日本兵のいない島、粟国島に米軍がやってきた - 「沖縄守備軍」がいない島

《AIによるカラー処理》粟国島の海岸に上陸する水陸両用トラクター(LVT)。第3陣。(1945年6月9日撮影) Amtracks (LVT's) approaching beach at Aguni, Ryukyu Islands. Third wave. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ …

私たちのすぐそばにある沖縄戦

《AIによるカラー処理》我喜屋の風景。赤瓦、藁葺き屋根、遠くに水田のある風景は絵のように美しい。(1945年6月8日撮影) Gakiya looked like this; rainwashed and picturesque with its red tile roofs, grey thatch huts, and green rice fields in the …

届かない電文 - 「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

《AIによるカラー処理》那覇飛行場概観。上空には監視用の飛行機(1945年6月6日撮影)General view of Naha airfield. Our spotter planes overhead. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □【シリーズ沖縄戦】74年前の今日194…

海軍の死闘と陸軍の日光浴 - 大田実中将が「大本営を含む各方面」に打電した理由

「2世3世が語るしかない」 沖縄戦で自決、大田中将の子孫 集団的自衛権閣議決定:朝日新聞デジタル □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □【シリーズ沖縄戦】74年前の今日1945年6月5日 『日本海軍の抵抗』□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前の今日、 小禄半島…

沖縄の玄関口、那覇空港

《AIでカラー処理》海岸に到着した第4海兵師団第2大隊。(1945年6月4日撮影) Troops of the Fourth Marines, 2nd Battalion, come in on the beach. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 …

伊平屋村の歴史、宜野湾市の歴史

伊平屋村の歴史 HP 追加情報 宜野湾市の歴史 HP 1945年 6月3日 『米軍、伊平屋島に上陸』 新たに占領した伊平屋島の我喜屋集落で、病原菌の巣窟である藁葺き家を、高速火炎放射器で焼き払う。 Iheya Shima, fast working flame throwers destroy germ infest…

失われた遺産、取り戻すことのできない時間

施設の全体地図 | 施設紹介 | 首里城 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年 6月2日 『破壊された琉球の文化財』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 今年2月。 首里城で新しく復元さ…

沖縄を「守るため」に沖縄人が邪魔になるという転倒

【原文】 Men of 77th Div. pressing the fight.【和訳】 日本軍と交戦する第77師団の兵士撮影地: 1945年 6月 備考 糸満市与座、或いは具志頭村与座 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1…

首里、ここで終わったはずの戦い

第32軍司令部壕(那覇市)| 戦跡と証言 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局 那覇市首里城の地下に、「第32軍司令部壕」があります。司令部壕は、首里城の地下を南北に横断するように掘られており、全長1キ口から2キロの壕に、1000人以上の兵士がい…

「義勇隊」

Akira Nakamura Family Collection から。アキラ・ナカムラは MIS (U.S. Military Intelligence Service) から沖縄で通訳として従軍。多くの写真を撮影した。しかし説明がなくこれからの研究がまたれる。Akira Nakamura Family Collection | Densho Digital …

この日、陸軍第32軍司令部と大田海軍とのあいだにおこった、なにか尋常ではないこと

旧海軍司令部壕Official on Twitter: " #旧海軍司令部壕 は来年3月で開館50周年を迎えますが、残念ながら沖縄県民の方でも海軍壕を知らない方が多くいらっしゃいます。 海軍壕が平和の発信基地になるよう、50周年の節目に向けて職員一同頑張って周知活動して…

5月27日『捨て石』あるいは現代的にいえば『使い捨て』 - しかしなぜ日本は国民を『使い捨てる』のか

73年前のきょう、沖縄守備軍(第32軍)は、司令部の拠点としてきた首里を放棄し、沖縄本島最南端を目指して移動を開始した。 これまでの戦闘を生き抜いた将兵らは、すでに数日前から南部へと移動し始めていたので、ここからは、米軍に抵抗しながら島の最南端…

失われた街のすがた

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年5月25日 『米軍、那覇に進撃』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 戦争が奪うものは、 人々の命だけではない。 その土地の生態系と、そこに育まれた永年の人々の暮らしの記録や文化、いわ…

歴史に正面から向かい合うことなしに、基地問題と軍事は語れない

《AIによるカラー処理》 シュガーローフヒルからの眺め。後方では日本軍の砲弾が炸裂(1945年5月23日撮影)Scene from Sugar Loaf hill. Enemy shells bursting background. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ…