1945年8月23日 アメリカ軍にとって「必ず役に立つだろう」沖縄とは

沖縄にある連合軍司令部地区(1945年8月23日撮影) The Allied Supreme Command Headquarters area on Okinawa. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 住民復興計画をきちんと立て、実行し、アメリカ軍の現在、将来の沖縄の基地利用計画と調和させるならば…

「皇軍」の「皇軍」による「皇軍」のための虐殺 - それは久米島だけにおこったことだったのか

久米島の日本軍 海軍通信隊の鹿山正隊長と陸軍中野学校の上原敏夫 - Battle of Okinawa □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年8月20日 『見せしめのために殺す』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前の今日 日本の「終戦の…

住民不在の伊江島で

1945年8月19日 『伊江島に降り立った日本降伏使節団』 住民不在の島となった伊江島に、今日、日本軍の使節団が降り立った。米兵たちはこぞってその象徴的な瞬間を見ようとやってきた。 American forces gather around the two Jap Bettys that brought Jap e…

「伊江島飛行場」日本軍が作って米軍が使うという基地の様式

1945年4月21日、「伊江島の戦い」は、本当に終わったのか - ~その時、沖縄は~ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年8月19日 『伊江島に降り立った日本降伏使節団』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前の今日、 伊江島…

ぬちぬぐすーじさびら ~ いのちのお祝いとしての三線と笑い

「沖縄のチャップリン」小那覇舞天さんのネタ帳・未発表脚本発見 | 沖縄タイムス □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □【シリーズ沖縄戦】74年前の今日1945年8月17日 『悲しみのあとは歌』□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前、 屋嘉収容所で「屋嘉節」がうまれ…

「玉音放送」とは何だったのか

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年8月15日 『それぞれの〝終戦の日〟』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前の今日 天皇の「終戦の詔」いわゆる「玉音放送」が「臣民」に伝えられた。 ポツダム宣言受諾から五日後のこ…

高級参謀の「高級」扱いと、学徒「通信隊」の戦場

【Archive 2-6】沖縄県立水産学校 22人の水産通信隊 たった一人の生還 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年8月11日 『歓喜に沸く連合国』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前の今日。 日本の国民が皇国の神話にしがみ…

1945年7月25日『戦争と性犯罪』- つねに権力のために他者を犠牲にすることを許容し美化し続ける国民は、民主主義というものが何なのか、まったく理解できていない

1854年6月、ペリー提督が琉球王国に来航した際に随行した水兵のウィリアム・ボードは、婦女暴行事件を起こした。 【沖縄】異国に眠る者へ…琉球の歴史を肌で感じる手泊外人墓地 - まぐまぐニュース! 公民館つれづれ日記: ウィリアム・ボード事件 ウィリアム…

沖縄戦の「戦闘疲労症」

Why the Battle of Okinawa Caused Severe Combat Fatigue | Military.com □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年 7月23日 『片手に手榴弾、片手に白い布片』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 沖縄戦は 74年前の今日も続いて…

1945年7月18日 「責任」があるなど、微塵も感じていない指導者たち - 八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』

少年の腕に包帯を巻く海兵隊の兵士 / Marines bandage an Okinawan boy's arm. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 戦争の最大の犠牲者は、何の罪もない子どもたちだ。 「戦争責任」とは、誰が取るものなのだろうか。 第32軍の高級参謀だった八原博通陸軍…

カンカラ三線と、ナバホのドラム - アメリカ先住民暗号部隊の沖縄戦 - 写真に記録された三人のナバホ・コードトーカーズ

アリゾナ州のナバホ・ネーションにあるナバホ・コードトーカーの銅像。 戦争は、また情報と言語の戦場でもあった。 米軍は、日本軍の暗号傍受や捕虜尋問、GHQ の通訳に日系や沖縄系米国人を動員し、また自らの暗号戦略にはアメリカ先住民を配属させた。 (1) …

1945年7月14日、戦場になり、世間御万人の袖を涙でぬらし - 屋嘉収容所

http://www.okinawa-senjoh.com/yaka.htm 投降した日本兵や召集された防衛隊の多くが収容されたのが、現在の金武町嘉芸小学校の校地周辺にあった「屋嘉収容所」だ。 金武町公式観光情報サイトによると、 第二次世界対戦後の1945年、焼け野原となった金武村屋…

1945年7月11日 戦争マラリア - 『軍官民共生共死』が島民にもたらしたもの - 利用するだけ利用して結局は棄民

琉球朝日放送 八重山戦争マラリア犠牲者追悼式 沖縄の人びとは、太平洋戦争に巻き込まれた後、実に様々な経験をした。 『鉄の暴風』と呼ばれる空爆、艦砲射撃を経験し、地上の地獄ともいえる地上戦を経験し、愛する家族や友人を失い、財産をも失った。 戦闘…

炎天下の解剖台

米軍の撮影団が記録したハンセン病国立療養所「沖縄愛楽園」の解剖の映像から 1947年7月7日撮影 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年7月10日 『沖縄愛楽園』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 日本は「らい予防法」という名…

米軍と日本軍とのはざまで

▲久米島、喜久村家の防空壕跡 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年7月9日 『この島を取りに来ている強い米軍』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ どうやらトランプ大統領は 合意に基づいて普天間基地を「返還」するのは、日…

1945年7月9日『この島を取りに来ている強い米軍の進む道』とは

米軍は、沖縄戦で多くのビラをばら撒いた。 よく知られているのは、投降を促すビラだと思うが、 沖縄人の歴史や文化、風習、性質などを研究していた米軍は、日本軍と皇国に対する沖縄人の忠誠心を切り崩すようなビラも投下した。 今日の投稿では、故大田昌秀…

なぜ『沖縄人には時間もなく人生もない』のか、それは沖縄が今も奪われているからだ。

米軍政府の管理下で生活する民間人。沖縄本島北部の辺野古にて。(1945年7月8日撮影) 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年7月8日 『沖縄人には時間もなく、人生もない』 □ □ □ □ □ …

巨大な力で人の営みが踏みつぶされるという事 - なぜ『沖縄人には時間もなく、人生もない』のか

米軍政府の管理下で生活する民間人。沖縄本島北部の辺野古にて。(1945年7月8日撮影) 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 『…中部の収容所の住民の多くは、沖縄戦が事実上終了した後、7月から8月にかけて宜野座や金武、名護など北部に集中させられた。こ…

ハワイに捕虜として送られた沖縄県民

過酷な移送、絶望の生活…記憶再び 沖縄戦の元捕虜、ハワイの収容所跡地訪問 | 沖縄タイムス □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年 7月7日 『ハワイに送られた捕虜』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 彼岸を渡り、 愛しい魂と…

普天間基地の下に埋められたもの

第854工兵航空大隊は、普天間の南端を流れる小川の水を排水するため、54インチコルゲート管を第2滑走路を横切るようにして設置した。排出口を支える土台の石材は、地元の建造物のものを使用した。(1945年7月6日撮影)(投稿者注: 上の和訳は、リンク先の原…

歴然とした違い

久米島の日本海軍電波探知機部隊を率いた鹿山正兵曹長 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年7月5日 『残る敵は日本のみ』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 残る敵は日本のみ、 本国から遠く離れた沖縄に駐留する米兵たちにと…

「正義」と「狂気」 - どれだけの県民が日本兵によって「処分」されたか

Entrance to compound at Taira.田井等収容所入口撮影地: 名護市 (1945年) 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年7月4日 『宜名真・辺戸住民斬殺事件』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ …

戦争を始める者たちは、自分の土地で戦争を始めたりはしない

4月1日、米軍の本島上陸。 Operation Iceberg, The Largest Amphibious Invasion In The Pacific □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年 7月2日 『アイスバーグ作戦終了』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 戦争を始める者たち…

久米島守備隊による住民虐殺事件、「島民を掌握するため」

久米島の日本軍 - Battle of Okinawa □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年 6月29日 『続く久米島の悲劇』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 74年前の今日、 久米島で9名の住民が惨殺された。 『鬼畜米英』と呼ばれる者たちに…

デマやヘイトの様式

班の人々に米を配給する班長。その後ろでは別の班の家族が待っている。(1945年6月28日撮影) Honchos rationing out rice to their people while other families wait in the background. 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ …

口に出せない、話すことのできない恐怖

久米島では、昭和20年8月15日の「終戦の日」のあとも、旧日本軍が半月にわたって降伏せずに潜伏し、住民に平穏が訪れることはありませんでした。こうした中、軍や住民が、異常な行動に駆り立てられていくのを目の当たりにした男性がいます。 久米島町 久米島…

久米島の無血上陸

久米島の日本軍 - Battle of Okinawa □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 【シリーズ沖縄戦】74年前の今日 1945年6月26日 『久米島の悲劇の始まり』 □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □ 我々は歴史から何を学ぶのだろうか、 それとも何も学ばないのだろうか。 日本軍…

八原博通の投降

1945年の今日 日本軍は沖縄を守ったと信じて疑わない人々が、今も受け入れたくない真実 ー 。 沖縄戦の作戦参謀 #八原博通 は、そもそも最初から米軍が住民を殺戮することはないと重々承知のうえで、徹底して情報操作し、沖縄県民を本土のための生きた砦とし…

1945年6月25日 暗いエゴイズム この日、米軍は自決した第32軍のトップ2人の亡骸を確認。しかし沖縄戦は終わらなかった。

第32軍のトップ2人が摩文仁の丘で自決したとされる日から、今日で2日が過ぎた。 だが、沖縄にいた日本軍のトップ2人が自決したからといって、他の日本兵たちにとっては関係ないことだった。 彼らに伝えられた命令は、最後まで戦えというものだ。 沖縄本島…

6月24日、軍は住民を守らない - 沖縄における日本軍の目的は、外地から本土決戦までの時間稼ぐこと。それは今も同じことだ。

轟壕(とどろきごう) | たびらい 日本兵による横暴のなか600人もの住民・県庁職員が生き残った、別名「沖縄県庁最後の地」 「貴様たちは、それでも日本人か」 「泥を食ってでも生きろ」 これは73年前の6月中旬、糸満市にある「轟の壕」と呼ばれる大きな自然…